バックナンバー 2001年 12月号

(新事実が判ったため、2002年9月に改訂・加筆しました)


過去のバックナンバー
2001年11月:『初秋』
2001年10月:『月見山風景』
2001年9月:『孔雀』


 2001年12月の「今月の一枚」では、農村の風景を描いた1枚の古いパステル画を取り上げました。

『天王山農場』

▲『天王山農場』(1945年)パステル、紙、24.0×32.9cm、個人蔵(神戸市)

晴れ渡った青空の下、梅林のように見える緩い傾斜地に、片流れ屋根の建屋が2棟建っている風景がいきいきと描かれています。地面を枯れ草が被っていることから、冬に描かれた作品のようです。

この作品は先の鈴木清一回顧展に出品されました。戦前ないし戦中に描かれたものと推定はしていましたが、制作年不明として展示することにしたのです。また、写生をした場所も特定できなかったため、回顧展では作品名を『風景』とし、会場に準備した作品余話には「戦前のものと思われるパステル画のスケッチブックに収められていた風景画の中の1枚である。画面中央に特徴のある建物が描かれているが、どこの風景なのかは分からない。」と記すに留めて、来観者からの情報提供を期待することにしたのです。

この期待はものの見事に当りました。世の中は広いようで本当に狭いものです。神戸市西区神出町からお見えになった大西次丸さんが、この絵を見るなり「これはわたしのところです」と教えてくれたのです。回顧展が終わった後で、わたしは大西さんのお宅がある神出町まで出掛け、次丸さんのお母さん(園さん)にお会いしてお話を伺うことができました。



▲回顧展会場で絵の説明をする大西次丸さん(右)と鈴木耕三

太平洋戦争の最中、徴兵検査で「甲種合格」とならなかった県内の若者を集めて、「健民修錬」と称して体力増進と食料増産のための集合教育を行なっていたとのことです。大西さん一家が経営する神出町(当時は兵庫県明石郡神出村)の天王山農場が健民修錬所のひとつに選ばれ、ここで体力増進と農作業のほかに音楽や絵画などの教育が行なわれていたというわけです。清一は絵を教えるために、神戸市須磨区の自宅からここへやって来ていたのでした。この時に清一は天王山農場や付近の風景をパステルで何枚か描きましたが、その中の1枚がこの作品だったのです。片流れ屋根の建屋は今も物置小屋として残っていますが、当時は豚舎と鶏舎として使われていたのでした。大西さんの自宅には、明らかに同時期に描かれたと思われる2枚のパステル画が残っていて、その中の1枚には昭和20年1月の日付が入っていました。このほか、次丸さんのお父さん(肇さん)を描いたパステル画と生後3か月の次丸さんを描いた油彩画も残っていました。



(以下は掲載後判った事実で、2002年9月に改訂・加筆しました)

その後の調べで、「健民運動」について次のような事実が分ってきました。

そもそも健民運動というのは、人口増殖・健康増進を目的として厚生省が主唱し、大政翼賛会厚生部が推進役となって1942(昭和17)年から行なわれだした官製の国民運動です。健民運動は医療・保険衛生関係だけでなく、体育関係や生活改善などの方面からも取り組まれ、同時期の文化運動や厚生運動とも密接なつながりをもっていました。

1943(昭和18)年6月に厚生省人口局から出された健民修錬所設置要綱に基づいて、全国に約3,000個所(約30万人の入所を見込む)の健民修錬所が作られることになりました。実際にどれだけこの計画が実行に移されたのかは未だ分っていませんが、昭和19年10月の時点で、全国に千有余の修錬所が開設されていたようです。天王山農場で健民修錬が始まったのは1943(昭和18)年10月からです。

健民修錬所へは17〜19歳の筋骨薄弱者(徴兵検査で第2乙、第3乙にあたる者)または結核要注意者を入所させ、厳正な団体的規律を重んじる軍隊式生活を通じて2か月間の修錬が行なわれることになっていたのですが、大政翼賛会厚生部では地方翼賛文化活動の一環としても運動するように求めていたので、天王山農場では情操教育の一環として、合唱指導や写生指導などの機会も設けていたのです。

大西園さんから伺った話によると、1944(昭和19)年から1945(昭和20)年にかけて、清一は毎週1回、天王山農場へ写生指導に出向いていたようです。
同じ時期に作曲家の須藤五郎氏が合唱指導を担当していました。この二人は兵庫県翼賛文化聯盟の理事を務めていたことが当時の新聞記事から判明しています。須藤氏は東京音楽学校卒、作曲家で宝塚音楽監督を務め、戦後すぐに宝塚歌劇団労働組合を結成、タカラ・ジェンヌの春日野八千代・天津乙女を副委員長にした初代委員長で、参議院議員(共産党)にもなった方です。氏の作品には『ああ特別攻撃隊・軍神岩在中佐』『大阪工業大学逍遥歌』『蛍池小学校校歌』『豊中市市歌』などがあります。

なお、須藤氏の著書『君泣くやおなじ心に:宝塚・労音・わが道』(民衆社、1988)の中に、天王山農場における健民修錬のことが書かれています。



農村での活動風景

▲天王山農場で働く大西肇さん(中央)と鈴木清一(右端)/昭和20年頃

今日の天王山農場

▲今日の天王山農場の一部(上の白黒写真とほぼ同じアングルで撮影)

いずれにしても、この作品を回顧展に出品したことによって、制作年と制作場所が特定できただけでなく、昭和20年頃の清一の画家としての活動の一部が少しずつ明らかになってきたことは極めて興味深いことです。

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