バックナンバー 2002年 10月号


このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、作品にまつわる話題などとともにご紹介していきたいと思います。
このページについてのご意見やご質問、あるいは関連情報などをお待ちしています。

バックナンバー

2002年 2001年
2002年9月: 『八千代像』
2002年8月:『九歳の八千代』
2002年7月:『会下山風景』
2002年6月:『舞子の松』
2002年5月:『赤い本』

2002年4月:『菊池辰重氏像』
2002年3月:『代々木風景』
2002年2月:『春のうた』
2002年1月:『雲と牛』
2001年12月:『天王山農場』
2001年11月:『初秋』

2001年10月:『月見山風景』
2001年9月:『孔雀』

 今月は『篠原本町の庭』 (1974年)を取り上げることにします。


▲鈴木清一作『篠原本町の庭』(1974年)
油彩・カンヴァス、45.5×37.9cm
個人蔵(神戸市北区)

 

この作品は、清一が1967年から1974年までの7年間を過ごした神戸市灘区篠原本町の自宅の庭を描いたものです。古い2階建ての日本家屋の南側には小さな庭がありました。花や草木をこよなく愛した彼は、ここに所狭しと苗木を植えたり草花の鉢を並べて、季節の移り変わりを楽しんでいました。妻の八千代も縁側からこの庭を眺め、水彩画を描いたり短歌を詠んだりしながら、苦しい闘病生活の気分転換をしていたのでした。

この作品の裏面に、清一は「八千代がこの世を去るまで終日眺めつくした庭、 昭和49秋、清一写生」と記しています。1974年7月に妻の葬儀を済ませ、その2か月後に亡き妻の思い出にこの作品を描いたのです。


清一の自然を愛する心は、茨城県真壁郡雨引村(現在の大和村)の祖父母の許で過ごした幼年期に芽生えたものと思われます。1956年頃に手帳に書き留めた手記の中で、彼は幼かった日々の思い出を次のように記しています。

草木を育てる

今度引っ越した家の家主さんの末の男の子はいま高校3年生である。学校の成績はあまり優秀ではないらしい。わたしは一度も息子さんと話したことはないが、何となく好意のもてる青年である。

家主さんの庭には所せまい程色々な草木が植えてある。どれをみても実生のものか、さし木か或ひは山野から採って来たと思はれるものばかりである。晴れた日曜日などに家主さん(息子の母親)と息子が庭に出て、草木の移し植えや手入れなどをしているのをわたしはほほ笑ましい気もちで見ていた。

わたしは筑波山麓の故郷へ帰ったことがある。わたしが小学校へ上がった年頃であらうか、山から檜と銀杏の1-2年生位のものを抜いて来て庭の片隅へ植えた記憶がある。その苗木がそのときは立派に育っているのを見て祖母にたづねたら「それは清ちゃんが植えた木だよ。大きな木になったなあ。」と言ふてくれた。30年も昔のことだが、わたしは大きくなった檜と銀杏を我が子を見るやうな心で見上げた。今庭に出ている親子を見て、ふとこんなことを思ふのだった。

 

八千代は闘病生活の気を紛らすために、1969年1月頃から水彩画を描きはじめ、1973年9月頃までに、静物画を中心におよそ430点の水彩画を描きました。ここではこれらの中から4点の作品をご紹介いたします。彼女も草花が大好きでした。いよいよ死期が近づいたある日、病床の彼女は清一に紙と鉛筆をもらい、次のような歌を詠みました。

願はくば秋草しげる高原の 微風にそよぐ花とならまし
  八千代



鈴木八千代作『どくだみの花』(1970年5月)
水彩・紙、40.8×33.1cm
個人蔵(神戸市須磨区)



 

鈴木八千代作『とうもろこしとみょうがのこ』(1970年8月)
水彩・紙、33.2×40.8cm
個人蔵(神戸市須磨区)



 

鈴木八千代作『マーガレット咲く』(1973年5月)
水彩・紙、35.7×46.2cm
個人蔵(神戸市須磨区)



 

鈴木八千代作『ざくろとなし』(1973年9月)
水彩・紙、35.7×46.2cm
個人蔵(神戸市須磨区)


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