バックナンバー 2002年 11月号


このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、作品にまつわる話題などとともにご紹介していきたいと思います。
このページについてのご意見やご質問、あるいは関連情報などをお待ちしています。

バックナンバー

2002年 2001年

2002年10月: 『篠原本町の庭』
2002年9月: 『八千代像』
2002年8月:『九歳の八千代』 
2002年7月:『会下山風景』
2002年6月:『舞子の松』
2002年5月:『赤い本』

2002年4月:『菊池辰重氏像』
2002年3月:『代々木風景』
2002年2月:『春のうた』
2002年1月:『雲と牛』

2001年12月:『天王山農場』
2001年11月:『初秋』

2001年10月:『月見山風景』
2001年9月:『孔雀』

 今月は『筑波山』(1952年)を取り上げることにします。


▲鈴木清一作『筑波山』(1952年)
水彩・紙、24.5×35.1cm
個人蔵(神戸市須磨区)

 筑波山は茨城県中部にある標高876メートルの山で、男体山と女体山の二つの峰から成り、万葉集にも歌われた名山としてよく知られています。この作品は筑波山の北側からの眺望を描いたもので、画面右手の峰が男体山、左手の峰が女体山です。

 清一の先祖は代々、筑波山を南に仰ぐ茨城県真壁郡雨引村(現在は大和村)の農家でしたが、父・国三郎は次男だったので家業を離れて茨城県の巡査になり、水戸警察署に勤務することになりました。国三郎と妻・きくとの間には清一と敏の二人の息子が生まれましたが、兄弟の歳が接近していたためか、清一は小学校へ上がるまで雨引の祖父母の許に預けられ、敏は国三郎が勤務する水戸で両親とともに暮らすことになったのです。こうして、雨引は清一にとって生涯忘れることができない心の故郷となったのであり、ここでの幼児体験が自然を愛する彼の豊かな心を育んだものと思われます。

 1956(昭和31)年になって、清一は遠い昔の思い出を次のような手記に書き綴っています。

あやめの思い出

 5〜6歳の頃のように思われる小学校へ上がる以前の頃に、わたしは祖父に連れられて常陸の加波山(筑波山に連らなる山)へ登った。このことはわたしの幼い記憶の一つである。その日は山の上の神社のお祭りでもあったのだろうか、登山の人々が多かったように覚えている。
 あまり良い天気ではなかったようで、今まで見えていた山の頂きの方が雲に覆われて見えなくなったり、小雨のような霧が祖父とわたしの周囲を包んでしまって、前後の人々の姿もたちまち見えなくなる、と思うとまたたちまち明るくなって視界が開けてくる。
「清坊、今のは雲だよ。あすこに見える雲もその中に入ってみると、今のように煙にまかれたように何も見えなくなるんだ。」と祖父は話してくれたように思う。わたしは雲というものは不思議なものだとそのとき考えた。山の不思議に心が打たれた。
 頂上へ登ったことも神社へお参りしたことも全く記憶にないが、祖父と草の上に腰を下ろして祖母の作ってくれた握り飯を食べたことは覚えている。それから、わたしの腰掛けている数間離れたところに湿地があって、そこに濃い紫の花が咲いていた。祖父があやめだと教えてくれた。この紫色のあやめの花が今でも鮮やかに印象に残っている。
 里でなければ見られないものと思っていたあやめがこんな山の上に咲いている。先ほどの雲といい、この美しいあやめの花といい、山というところは珍しいことが見られるものだとわたしは考えた。わたしはそのあやめを一株掘りとって大事に持ち帰り、庭の一隅に植えたことを覚えている。わたしはあやめの花を見るたびに祖父と登った加波山の記憶をまざまざと思い出すのである。

  ふるさとは思い出にのみ思われて 桐の花散る道をわが行く  清一



鈴木清一作『祖父・鈴木作弥之像』(1914年)
鉛筆・紙、45.7×38.1cm
個人蔵(神戸市須磨区)

鈴木清一作『祖母・鈴木せい之像』(1914年)
鉛筆・紙、45.7×38.1cm
個人蔵(神戸市須磨区)


この2枚の素描には「大正3年2月12日、清一写」と記されています。清一はこの年の4月に東京美術学校西洋画科へ入学することになるのですが、祖父母にしばしの別れの挨拶をするために、懐かしい雨引村を訪れたのでしょう。まだ簡単に写真を写せるような時代ではなかったので、彼は祖父母の顔を写生して記念に持ち帰ったのだと思われます。祖父母が住んでいた雨引の家には、彼が油彩で描いた二人の肖像画もあったようですが、残念ながら1966(昭和41)年に火災に遭って焼失してしまいました。しかし、清一が手許に置いていた素描画の方は、幸いにも88年後の今日まで無事に残ったのです。

鈴木清一作『雨引の家』
(1947年)、鉛筆・紙、27.0×19.5cm
個人蔵(神戸市須磨区)

清一は1947(昭和22)年8月に雨引を訪れています。このときに描いた風景画が残されています。戦後間もなくのことで、粗悪な紙に鉛筆だけで描くしかなかったのでしょうが、久しぶりに見る故郷の景色を慈しむかのように何枚も描いています。


 

加波山神社の山門
(2002年10月撮影)

 

加波山は標高709メートル、筑波山系の山の一つで、雨引村の南東に迫っており、頂上付近に加波山神社があります。清一と祖父とは100年前にこの石段を登ったのかも知れません。


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