このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、作品にまつわる話題などとともにご紹介していきたいと思います。
このページについてのご意見やご質問、あるいは関連情報などをお待ちしています。
バックナンバー
今月は『筑波山』(1952年)を取り上げることにします。
![]() |
|
|
筑波山は茨城県中部にある標高876メートルの山で、男体山と女体山の二つの峰から成り、万葉集にも歌われた名山としてよく知られています。この作品は筑波山の北側からの眺望を描いたもので、画面右手の峰が男体山、左手の峰が女体山です。
清一の先祖は代々、筑波山を南に仰ぐ茨城県真壁郡雨引村(現在は大和村)の農家でしたが、父・国三郎は次男だったので家業を離れて茨城県の巡査になり、水戸警察署に勤務することになりました。国三郎と妻・きくとの間には清一と敏の二人の息子が生まれましたが、兄弟の歳が接近していたためか、清一は小学校へ上がるまで雨引の祖父母の許に預けられ、敏は国三郎が勤務する水戸で両親とともに暮らすことになったのです。こうして、雨引は清一にとって生涯忘れることができない心の故郷となったのであり、ここでの幼児体験が自然を愛する彼の豊かな心を育んだものと思われます。
1956(昭和31)年になって、清一は遠い昔の思い出を次のような手記に書き綴っています。
あやめの思い出 5〜6歳の頃のように思われる小学校へ上がる以前の頃に、わたしは祖父に連れられて常陸の加波山(筑波山に連らなる山)へ登った。このことはわたしの幼い記憶の一つである。その日は山の上の神社のお祭りでもあったのだろうか、登山の人々が多かったように覚えている。 |
![]() |
![]() |
|
鈴木清一作『祖父・鈴木作弥之像』(1914年) |
鈴木清一作『祖母・鈴木せい之像』(1914年) 鉛筆・紙、45.7×38.1cm 個人蔵(神戸市須磨区) |
![]() |
| 鈴木清一作『雨引の家』 |
清一は1947(昭和22)年8月に雨引を訪れています。このときに描いた風景画が残されています。戦後間もなくのことで、粗悪な紙に鉛筆だけで描くしかなかったのでしょうが、久しぶりに見る故郷の景色を慈しむかのように何枚も描いています。
![]() |
|
加波山神社の山門
|
加波山は標高709メートル、筑波山系の山の一つで、雨引村の南東に迫っており、頂上付近に加波山神社があります。清一と祖父とは100年前にこの石段を登ったのかも知れません。