今月の1枚

バックナンバー 2003年 1月号


このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、作品にまつわる話題などとともにご紹介していきたいと思います。
このページについてのご意見やご質問、あるいは関連情報などをお待ちしています。

バックナンバー

2002年 2001年

2002年12月:『根室原野の鶴』
2002年11月: 『筑波山』
2002年10月: 『篠原本町の庭』
  
2002年9月: 『八千代像』  
2002年8月:『九歳の八千代』  
2002年7月:『会下山風景』
2002年6月:『舞子の松』
2002年5月:『赤い本』

2002年4月:『菊池辰重氏像』
2002年3月:『代々木風景』
2002年2月:『春のうた』
2002年1月:『雲と牛』

2001年12月:『天王山農場』
2001年11月:『初秋』

2001年10月:『月見山風景』
2001年9月:『孔雀』

 2003年最初は『小菊』(1978年)を取り上げることにします。


▲鈴木清一作『小菊』(1978年)
油彩・カンヴァス、50.0×60.6cm
個人蔵(神戸市須磨区)

小菊は清一がもっとも好んで描いたモチーフのひとつで、現在までに所在が分かっているものだけでもおよそ50点の作品があります。これらの中でこのF12号の作品は清一最晩年の傑作と言うべきもので、昨年6月にご紹介した『舞子の松』と同様に、絵の具が非常に厚く塗られており、何度も試行錯誤を繰り返した苦心の跡が感じとれます。『小菊』のカンヴァスは額縁から外した重さが2.3kgもあります。通常の塗り方をしたF12号のカンヴァスの重さはせいぜい0.6〜0.8kg程度ですから、この作品がいかに厚塗りされているかを想像できるでしょう。

清一の創作意欲をかき立てた花には、小菊のほかに紅椿、水仙、リンドウなどがあり、また、アザミやドクダミなどの草花も草木染めのデザインにしばしば登場します。いずれもわたしたちの身近にある野生の花ばかりで、決して豪華絢爛とした高級な花ではありません。これは家計が貧しかったためというよりは、むしろ人手がかかっていない自然のままの花こそ、彼がもっとも好んだからだと思います。

清一は自然を愛する画家でした。草木や花の名前に通じていただけでなく、季節の移り変わりにつれてどんな花が咲くのか、花や実や樹皮などを草木染めに使うとどんな色が出せるのか、万葉集の中ではどんな草花がどんな風に詠まれているのかといったことから、どんな野草をどんな風に料理すれば美味しく食べられるのかなど、いろいろなことに関心をもち、また本当によく知っていました。
彼は次のような手記を残しています。

彼は単に美術の授業を担当していただけでなく、放課後には美術部の指導をするとともに、教職員たちにも絵の指導をしていました。



自然から遠ざかる


わたしが週1回教えているあるドレスメーカー学院の生徒(高校卒)たちに、枇杷(ビワ)の花はいつ咲くかと聞いたら一人も知らなかった。クチナシの花はと聞いても知らない。山茶花(サザンカ)、ボケ、椿、茶、サルスベリと聞いてみたが、ごく少数しか答えられなかった。

都会の若い女性はみんなそうだと言ってしまうのは早計であらうが、花の咲く時期を知らない女性は多いらしい。男性もまた同じことらしい。それだけに花に関心をもたないわけでもなかろうが、大体わたしどもの周囲にある植物に関心をもっていないという方が本当かも知れない。

わたしの知人に歌人がいる。戦争中だったが、一緒に晩春の須磨の裏山へ行ったことがある。食料になる植物採集のためであった。ところがその友人は、スミレとワラビ、アザミ以外はほとんど草木の名を知らない。セリ、タラ、ヤマウド、山帰来(サンキライ)、ゼンマイ、ヨモギ、イタドリ、ヤマゴボウなどの食料になる草木は勿論、ナラ、クヌギ、クス、ハン、ヒノキの類も知らないのにわたしも驚いたことがある。文章や歌、詩俳句などでこうした草木のことを読み、君自身も歌によんだことがあるでしょうと聞いたら「その通りです」と笑っていた。

畑の人参を見て「これはパセリですか」と聞いた女性はたしかに都会の女性だ。田舎の娘ならパセリを見て人参と言うかも知れない。自然からだんだん遠ざかってゆく都会の生活を淋しく考えることがある。



▲鈴木清一作『リンドウの扇子』
水彩、個人蔵(大阪府吹田市)





▲鈴木清一作『ドクダミのデザイン』
1955年頃、色鉛筆・紙
個人蔵(神戸市中央区)





▲鈴木清一作『アザミのデザイン』
1955年頃、色鉛筆・紙
個人蔵(神戸市中央区)




野草のてんぷらの作り方を指導する清一
(1965年4月、神戸市北区唐櫃)

【上の写真の説明】

清一の野草や草花などに関する愛情と豊富な知識は、幼年時代を都会から遠く離れた農村地帯で過ごしたことと無関係ではないと思います。戦時中の食糧難の時代には、町内会の人たちの先頭に立って、空地を利用した野菜作りや、裏山を歩き回って食用の野草を集めたりしていました。

清一が講師を務めていた旧東京銀行絵画同好会の元会員の一人は、郊外スケッチの日に清一から教わったフキノトウやタラの木の芽、セリ、ゼンマイなどの天ぷらの味が、今でも忘れられないと述懐しています。

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