今月の1枚

バックナンバー 2003年 3月号


このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、作品にまつわる話題などとともにご紹介していきたいと思います。
このページについてのご意見やご質問、あるいは関連情報などをお待ちしています。

バックナンバー

2003年 2002年 2001年

2001年2月:『早春の六甲』
2001年1月:『小菊』

2002年12月:『根室原野の鶴』
2002年11月: 『筑波山』
2002年10月: 『篠原本町の庭』
  
2002年9月: 『八千代像』  
2002年8月:『九歳の八千代』  
2002年7月:『会下山風景』
2002年6月:『舞子の松』
2002年5月:『赤い本』

2002年4月:『菊池辰重氏像』
2002年3月:『代々木風景』
2002年2月:『春のうた』
2002年1月:『雲と牛』
2001年12月:『天王山農場』
2001年11月:『初秋』

2001年10月:『月見山風景』
2001年9月:『孔雀』

2003年3月号の「今月の一枚」は『水仙』(1953年)を取り上げることにします


鈴木清一作 『水仙』(1953年)
油彩・紙、52.3×30.0cm
個人蔵(神戸市須磨区)

早春を清楚に彩る水仙は、清一が好んで描いたモチーフの一つでした。
ここにご紹介する『水仙』は1953年に描かれたものですが、彼は晩年に至るまでこの花を繰り返し描いており、油彩画の作品だけをとっても、現在までに25点余りの所在が明らかになっています。

ところで、清一は日米開戦直後の1942年1月に兵庫県新美術聯盟(注参照)の常任委員長に任命され、さらに戦時中を通じて、兵庫県翼賛文化聯盟役員や神戸市翼賛壮年団総務などの役職についていたことから、1947年には公職追放の処分を受けることになりました。
この処分を契機として、彼は中央および地方画壇活動から姿を消し、さらに戦前の画家仲間との縁も自ら絶ち切って、戦後の新しい生活の道を歩み始めました。清一のこの生き方を「水戸っぽの典型だ」と評する人もいます。

1940年代の終わりから1950年代にかけての清一は、戦前からの友人が経営する画材製造販売会社・レートン色彩工業の仕事を手伝ったり、阪急電鉄系の宝塚文化学園でペインティックスや染色などの技法を指導する傍ら、木曜会(三菱重工業神戸造船所の絵画同好会)と華燿会(三菱ふそう自動車販売大阪支店の絵画同好会)の講師を務めるなど、多忙な毎日を送っていました。

しかし、そんな生活の中でも彼の制作意欲はきわめて旺盛だったようで、1950年代にも多くの作品を残しています。
これらは当時の貧しい生活ぶりを物語るように、カンヴァスの切れ端や粗末な紙片に描かれているものが多いのですが、苦しい日常生活の匂いを微塵も感じさせない --- むしろ自由を謳歌する楽天的で明るい気分に満ち溢れているように感じられるのです。

(注) 兵庫県新美術聯盟 : 1942年1月に大政翼賛会兵庫県支部の指導によって、それまで兵庫県下にあった二つの美術団体、すなわち兵庫県美術家聯盟と兵庫県美術協会とが統合され、兵庫県新美術聯盟(会長: 坂兵庫県知事)が設立されました。それまでの清一は川西英、小磯良平、小松益喜、田村孝之介、林重義、別車博資らとともに兵庫県美術家聯盟に所属していました。




▲鈴木清一作『染付けの壷』(1967年)
水彩・はがき、14.8×10.0cm
個人蔵(京都府長岡京市)

 

交通事故で入院した水戸中学時代からの親友の1日も早い退院を祈って、清一が毎日のように書き送った180枚ものはがき絵が、この友人のご遺族のお宅に大切に保存されていることが最近になって分かりました。
今月の『水仙』に描かれている壷の絵とともに、次のような短い文章が添えられています。

30年も以前から常に私の室の片隅に置いてある古い染付の壷です。
花をさして描いたり、油絵の筆さしにしたり、そのまま絵にかいたり、こわれもせずにあったものです。陶器としての価値よりも、私にとってはいつも話相手になってくれる壷です。高さ5寸余。


「陶器としての価値よりも、私にとってはいつも話相手になってくれる壷です」というのは、なかなか面白いですね。




▲鈴木清一作『水仙』(1967年)
水彩・はがき、14.8×10.0cm
個人蔵(京都府長岡京市)

 

これも清一が入院中の友人に送ったはがき絵の中の1枚です。

また寒さが戻って、今朝辺りは零下2度とか。然しヒーターのぬくもりや炬燵もまた冬のたのしみ。
2階の画室に座してあれこれと仕事のことなど考える冬の日もまた楽しい。
貴兄の病院生活をしのびつつ、今朝の一とき。御大切に。


四季の移り変わりを敏感に捉えた草花の様子や、懐かしい故郷・茨城県の風景などのほかに、身の回りにある思い出の品々を描いた淡彩画に、優しい言葉が書き添えられたはがきをもらった清一の友人は、大いに勇気づけられたことでしょう。



 

▲鈴木清一作『水仙の年賀状』(1968年)
水彩・はがき、14.8×10.0cm
個人蔵(兵庫県西脇市)

  ▲鈴木清一作『水仙の芽萌えの年賀状』(1968年)
水彩・はがき、14.8×10.0cm
個人蔵(神戸市須磨区)

 

清一の年賀状は毎年はがき絵でした。大好きだった水仙のほかに、紅椿、白梅、紅梅、松、六甲山などをよく描きました。印刷ではなく1枚1枚を描くので、大変な手間と時間がかかりました。年賀状は新年に書くべきものという考えから、清一はお正月をもっぱら年賀状書きで過ごしました。
毛筆を好んだ彼は、暇さえあれば新聞の折り込み広告の裏などに字を書いていました。万年筆は使いましたが、ボールペンは滅多に使いませんでした。


▲鈴木清一作『水仙』(1970年代?)
油彩・木板、31.6×40.7cm
個人蔵(神戸市須磨区)

晩年近くに描かれたものと考えられるこの作品には、スイセンとラッパズイセンが描かれています。花瓶や壷に生けずに、皿の上に横たえた構図を面白いと感じたのでしょう。このほかにも清一はつくばい(茶室の庭先にある石の手水鉢)に生けた水仙や紅椿も描いています。


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