今月の1枚

2003年 5月号


このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、作品にまつわる話題などとともにご紹介していきたいと思います。

バックナンバー

2003年 2002年 2001年

4月:『山ざくら』
3月:『水仙』

2月:『早春の六甲』
1月:『小菊』

12月:『根室原野の鶴』
11月: 『筑波山』
10月: 『篠原本町の庭』
  
9月: 『八千代像』  
8月:『九歳の八千代』  
7月:『会下山風景』
6月:『舞子の松』
5月:『赤い本』

4月:『菊池辰重氏像』
3月:『代々木風景』
2月:『春のうた』
1月:『雲と牛』

12月:『天王山農場』
11月:『初秋』

10月:『月見山風景』
9月:『孔雀』

2003年5月号の「今月の一枚」は『布引の新緑』(1974年)をご紹介します。

布引の新緑 ▲鈴木清一作 『布引の新緑』(1974年頃)
油彩・色紙、27.2×24.2cm
個人蔵(厚木市)

JR山陽新幹線の新大阪駅を発車した下り列車が、工場や人家の密集する市街地を駆け抜けて武庫川を渡り、阪急電鉄今津線の線路を跨いだ後に六甲トンネルへ入ります。列車はしばらく暗闇の中をひた走り、やがて速度を落としながら長いトンネルから抜け出して停車したところが新神戸駅です。

 駅の南側は都市化が進んでいますが、反対の北側はこの絵に描かれているような緑したたる布引山です。駅を挟んでまったく別の世界が広がっているのです。新幹線の駅にはコンクリート・ジャングルに囲まれたところが多いのですが、この新神戸駅だけは例外で、中でも新緑のころの車窓からの眺めはまことに見事です。ただし、列車が新神戸駅を発車するとすぐに新神戸トンネルへ入ってしまうので、すがすがしい気分に浸れるのはごくわずかな間だけなのですが‥‥。

 清一は新緑の季節の布引山の風景が非常に気に入っていたようで、1960年代後半から1970年代前半にかけて、この作品以外にも同じモチーフの風景画を繰り返し描いています。当時、清一は布引にごく近い神戸市葺合区(現・中央区)熊内町の明照幼稚園で、毎週日曜日に園児と母親たちに絵を教えていたので、彼は美しい緑に覆われたこの山をいつも眺めていたのです。



初夏の山


▲鈴木清一作『初夏の山』(1970年頃)
油彩・板、24.2×33.4cm
個人蔵(明石市)
新緑の布引


▲鈴木清一作 『布引の新緑』(1974年)
油彩・色紙、27.2×24.2cm
個人蔵(西宮市)


 

 

 清一が鉛筆で走り書きした一冊の小さな手帳が残っています。
 1956年頃に電車の中などで書き綴ったもののようですが、普段から考えていたことや遠い昔の思い出などが記されており、なかなか興味深いものがあります。その中の一つに新緑の季節を賛美した『晩春初夏』という手記があります。

 少し長いのですが、清一の自然を見つめる優しさがよく伝わってくるので、全文をご紹介することにします。





晩春初夏


 桜が散って若葉がむせるように輝く。なかでも美しいのは樟(くす)の若葉であろう。紅さした黄橙の燃え立つような色が5月の晴れた空の下に輝いて、実に目のくらむほど美しい。桐は関東には多いが関西にはあまりない。麦の穂が伸び出すころ、あの香りの高い紫の花の咲くのを見ると故郷が思い出される。わたしの好きな花である。一重山吹が散って八重山吹も盛りを過ぎ、木瓜(ぼけ)は色のあせた花がいつまでも散らずに残っている。つつじが咲き始める。朱色の山つつじの花は最も好きである。とき色の花は鮮やか過ぎて趣に乏しい。たんぽぽは花よりもパッと軽く飛び散る実の方が面白く、ミレーの羊飼の画の前景の草地の中に逆光に光ったこの実が描き添えてあるのをほほえましく思い出す。

 かなめもちの新芽は鮮やかな紅色で生け垣に作られるのが多く、麦畑の中の白壁の農家、真っ赤に萌えたかなめ垣、晴れた空に鯉のぼりが風をはらんでなびいている趣など、忘れられぬ印象である。樫(かし)の新芽の紫を呈した色もよく、朴(ほう)の若葉もまた美しい。葉の形もよく、山の雑木の中に混じってひときわ大きな葉がよく目立つのである。藤の花もわたしの最も好きな花であるが、自然に咲いている山の藤がよく、作り過ぎた棚咲きなどは面白くない。藤というと奈良を思い出すが、子供の頃に見慣れた山の藤、鎮守の森の木にまつわって垂れ咲く藤の花などが思い出される。

 野川の淵に伸び盛る芹の摘みごろ、三つ葉とともに高い香りが晩春の爽やかさに似て忘れられない。ぜんまいの新芽と若葉は形・色ともに美しく、山の渓流沿いに生い茂った様子などは光琳の画を見るような感じがする。木蓮の花はあまり人に知られていない。古代紫の小さな形の変った花は若葉の明るい色の中では黒い点々に見えるが、手にとって見ると実に美しい紫色である。小手毬の花も名のごとく小さい白い毬を一輪に連ねたように、幾条も垂れ気味に咲いている風情は可憐である。

 畑に残った葱(ねぎ)が花をつけるころ、葱坊主とは面白い。故人になった俳人・別天楼先生は葱坊主が好きだったらしく、わたしに葱坊主の句を書いた短冊を下さったことがある。今でもその短冊を愛蔵している。

 しゃがの花はよく見るとまことに美しい。次から次へと咲き続けるので、庭の一隅へ植えておいたら趣を添える花であろう。いかにも初夏らしい花に真白いつるばら、シルバームーンがある。垣根などに作るが、陽に映えて鮮やかに咲いている感じは夏が来たと歌いたくなるような花だ。孟宗竹の林の中に逞しく伸び立つ若竹を見るのはいかにも気持ちがよい。5月頃ともなれば2-3メートルにも育ち、下の方から皮を落して若々しい竹の緑色が2節3節と見えてくる。実に逞しい姿である。

 芹、三つ葉の香りもさることながら、山うどの香りもまたこのころの快い香りである。山椒はこのころになればすっかり若葉になっているが、田楽や色々な木の芽和えにして晩春初夏の味覚の最たるものである。

 こうして思い出すままを綴ってみると、晩春初夏の候の植物で心惹かれるものは日本在来の植物ばかりであるが、画の材料としては外国種のものが随分多いことに気がつく。どうしたことであろうか。

 五月梅の花は生花によく使うが、みずみずしい葉と白い山吹にも似た花の調和がいかにも初夏らしくてよい。百合の芽の2-3尺逞しく伸びた姿は、まだ蕾を見せないままで充分美しい。わたしは特に山百合が好きだ。

 5月の山はあらゆる草木が伸び盛り、美しいこと限りない。薄(すすき)のくさむらがすがすがしく伸び、さんきらいの蔓が巻ひげを面白く伸ばし、茶色い生毛をつけた葛(くず)の蔓がやがては雑草の原を一面に覆い尽くさんばかりの勢いで、四方八方に伸び出している。こうした山や野原の一隅を見ているだけで、わたしは半日でも終日でも退屈を感じない。晩春初夏の数多くの木々草々を頭に浮かべて考えていると、それだけでまことに楽しいのである。

 


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