今月の1枚

バックナンバー 2003年 6月号


このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、作品にまつわる話題などとともにご紹介していきたいと思います。

バックナンバー

2003年 2002年 2001年

5月:『布引の新緑』
4月:『山ざくら』
3月:『水仙』

2月:『早春の六甲』
1月:『小菊』

12月:『根室原野の鶴』
11月: 『筑波山』
10月: 『篠原本町の庭』
  
9月: 『八千代像』  
8月:『九歳の八千代』  
7月:『会下山風景』
6月:『舞子の松』
5月:『赤い本』

4月:『菊池辰重氏像』
3月:『代々木風景』
2月:『春のうた』
1月:『雲と牛』

12月:『天王山農場』
11月:『初秋』

10月:『月見山風景』
9月:『孔雀』

「今月の一枚」の2003年6月号では、清一の故郷である
茨城県水戸の風景を描いた小品をご紹介します。

鈴木清一作 『水戸弘道館』(1954年)

▲鈴木清一作 『水戸弘道館』
(1954年)
木炭/水彩・色紙、27.2×24.2cm
個人蔵(京都府京田辺市)


 JR常磐線の水戸駅から北の方向へ緩い坂を登っていくと、武家屋敷のような白壁に囲まれた建物が眼前に現れます。水戸市立三の丸小学校です。冠木門と白壁の校舎が印象的です。清一はこの小学校の前身に当たる水戸市立高等小学校を1913年に卒業し、茨城県立水戸中学校(現在の県立水戸第一高等学校)へ進みました。


 三の丸小学校がある一帯には、旧水戸藩の歴史的遺産が多く残されています。小学校の北側には、約3.4ヘクタールの敷地内に建つ「旧弘道館」があります。弘道館は徳川御三家の一つ、水戸藩の第9代藩主・徳川斉昭(烈公)によって1841年に創設された藩校です。藩士の子弟に文武両道の修練を積ませるために、水戸学ばかりでなく、医学、薬学、天文学、数学などの幅広い学問を取り入れた日本有数の藩校でした。現在「旧弘道館」は国の特別史跡になっているほか、正庁、至善堂、正門が国の重要文化財に指定されています。敷地跡の弘道館公園には、60種類の梅が800本植えられていて、偕楽園とともに「水戸の梅まつり」の会場になっています。



 公園の西隣には、1930年に竣工した赤褐色煉瓦造りの旧茨城県庁舎(現在は県三の丸庁舎として使われている)が堂々たる佇まいを見せています。1922年の第4回帝展に入選した清一27歳のときの作品『赤い本』は、永らくこの庁舎内に飾られていましたが、現在は千波湖畔にある茨城県近代美術館の所蔵品になっています。

 清一の実家は弘道館公園の北側に隣接する水戸市北三の丸(現在は新住居表示で北見町に変っている)にあり、ここから公園までは歩いて2〜3分の目と鼻の先にあります。1919年に水戸中学校を卒業し、職業画家を目指して上京するまでの幼少年期を水戸で過ごした清一にとって、この付近一帯は懐かしい思い出がいっぱい詰まった場所であった筈です。
 この作品に描かれている八角形の建物は弘道館公園内の「八卦堂」で、堂の内部には弘道館創設の由来「弘道館記」を刻んだ石碑が納められています。この作品は清一の水戸中学校時代からの親友の一人に贈られたもので、色紙の裏面には次のような献辞が記されています。


戦災で焼失した八角堂は寒水石の白い碑体を露天にさらし、
梅の古木はつぎつぎと枯れ去り、水戸公園は昔日の面影を
偲ぶべくもない。旧い写生帳よりこの図を写して原田兄に贈る。

昭和29年元旦 清一





▲鈴木清一作 『スケッチ、水戸弘道館』
(1940年頃)
色鉛筆・紙、28.3×37.3 cm、個人蔵(神戸市)
 

 水戸は1945年8月2日未明の大空襲で壊滅しました。戦争が終わる2週間前のことでした。

  弘道館の正庁、至善堂、正門は奇跡的に災禍をまぬがれましたが、敷地内の鹿島神社や孔子廟のほか、この八卦堂も焼失しました。およそ10点はあったと思われる清一の帝展入選作品も、彼の実家とともに灰燼に帰しました。

 1952年に母の葬儀を営むために清一は郷里へ戻りましたが、彼が弘道館公園で見たものは「弘道館記」を刻んだ巨大な寒水石が風雨に曝されたままになっている姿でした。

 神戸へ戻った彼は戦前のスケッチブックの中から八卦堂のスケッチを探し出し、昔を偲びながらこの作品(=最初に掲載している『水戸弘道館』)を描いて親友に贈ったのでした。なお、八卦堂は1953年に復元されました。





▲鈴木清一作 『水戸弘道館』
(1959年頃)
油彩・色紙、27.2×24.2 cm、個人蔵(神戸市)
 
 後になって清一は、同じ構図の作品を油彩画でも描いています(左の作品)。

  おそらく同じスケッチを参考にして描いたものでしょうが、先の作品には寒々とした冬の雰囲気が感じられるのに対して、この作品では梅の花が開き始めた早春の喜びが明るい色使いで表現されています。





▲鈴木清一作
『古い水戸の写生帳より』
(1957年3月4日)
鉛筆/水彩・葉書
14.8×10.0cm、個人蔵(京都府京田辺市)
 

 この同じ親友が1957年に交通事故に遭って入院たときに、清一が毎日のように送り続けた葉書に描いた絵手紙が大量に残っていますが、その中の1枚に弘道館を描いたものがあり(左の作品)、次のように添え書きされています。


古い水戸の写生帳より。
鹿島神社側から弘道館を見る。
今ごろ梅が咲いているだらうね。   清一


 病院のベッドでこれを受け取った友人は、遠く離れた郷里と過ぎ去った日々を懐かしむ思いで胸が一杯になり、涙を流して喜んだのではないでしょうか。




▲鈴木清一作 『スケッチ、水戸弘道館』(1940年頃)
色鉛筆・紙、28.3×37.3 cm、個人蔵(神戸市)

絵手紙に記されている「古い水戸の写生帳」の中に残っていたのが、この色鉛筆で描かれたスケッチです。
八卦堂のスケッチと同じときに描かれたことは明らかです。


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