バックナンバー 2004年 1月号


このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、作品にまつわる話題などとともにご紹介していきたいと思います。

バックナンバー

2003年 2002年 2001年

12月:『少女』 
11月:『秋深まる』 
10月:『染付け皿と秋果』
9月:『窓からの風景』 

8月:『石廊岬』
7月:『婦人像』
6月:『水戸弘道館』 
5月:『布引の新緑』
4月:『山ざくら』
3月:『水仙』

2月:『早春の六甲』
1月:『小菊』

12月:『根室原野の鶴』
11月: 『筑波山』 
10月: 『篠原本町の庭』   
9月: 『八千代像』  
8月:『九歳の八千代』  
7月:『会下山風景』
6月:『舞子の松』
5月:『赤い本』

4月:『菊池辰重氏像』
3月:『代々木風景』
2月:『春のうた』
1月:『雲と牛』

12月:『天王山農場』
11月:『初秋』

10月:『月見山風景』
9月:『孔雀』

今月は、『自画像』ご紹介します。



▲鈴木清一作『自画像』
(1928
年)
油彩・キャンヴァス, 53.0cm×45.5cm
茨城県近代美術館蔵



 清一は生涯に自画像を2枚しか描かなかったようです.
  最初の1枚は1919(大正8)年に東京美術学校西洋画科(現・東京芸術大学美術部油画科)の卒業制作に描いた23歳の自画像で、東京芸術大学大学美術館に保管されています.
そして、もう1枚の自画像が今月ご紹介するもので、画面右下に茶色の絵具で「S. Suzuki 1928」と記されていますから、清一33歳の自画像ということになります。


 この自画像が描かれた前々年の1926(大正15)年、清一は第1回聖徳太子奉賛美術展(5月、東京府美術館)に『画室の裸女』と『花と裸女』の2枚の作品を出品し、第7回帝展(10月、東京府美術館)には『女』を出品しました。さらに第3回白牙会展(11月、茨城県公会堂)には『代々木原秋晴』『赤松林の秋』など8点の作品を出品し、その後に台湾へと旅立っています。
  当時、同郷の吉野弘が台南に住んでいたので、清一はひとまずそこに身を寄せて旅費を稼ぎながら、ヨーロッパへ絵の修業に出掛ける準備を着々と進めていました.なお、吉野弘は5年後に清一の妻となる八千代の長兄で、台湾製糖に勤務していました。

 清一の台湾での生活は1年半ばかり続きましたが、1928年6月に彼は突然不幸な出来事に見舞われます。水戸警察署巡査から古河警察署長に栄転したばかりの父・国三郎が急死したという電報が届いたのです。ヨーロッパ留学どころではなくなった彼は直ぐに郷里の水戸へ引き返し、父を葬った後も母と弟が住む水戸の実家に留まることになりました。この自画像はその頃に水戸で描いたものと思われます。

 台湾滞在中の清一は1927年の帝展出品を見送りましたが、翌年の第9回帝展には復帰を果たしました。
  最大の理解者だった父を失ったことは、清一にとって大きな痛手でしたが、彼はこの苦しい時期を歯を食いしばって頑張り通し、以来、毎年帝展入選を続けることになりました。





水戸公園(弘道館公園)でくつろぐ清一(33歳).
『自画像』を描いた頃から、彼は口ひげに加えて
あご髭を生やすようになっていました.





 この頃に発行された茨城県人名録(弘文社、昭和5年)に、清一は次のように紹介されています。

鈴木清一 洋画家、水戸市上市北三の丸126の人、明治28年7月23日生る。故古河警察署長・鈴木国三郎氏の長男として幼少の折より画才群童に優れ、水戸中学に入るに及んで一段の進境を見る.大正2年3月中学を出づるや、志を好める道に選んで東京美術学校西洋画科本科に学び、卒業後も猶同校研究科に止まり斯道の研究を積むこと3か年、大正10年11月初めてその作品を帝展に搬入後、昭和4年11月迄引続き入選すること実に7回、以て氏が技量の非凡なるを窺ふに足るべく、即ち『初秋の丘』『赤い本』『浴女』『首夏』『女』『画室の裸女』『草の上』等は氏の芸術精進の結晶にして、就中『初秋の丘』は帝展出品後仏国サロンに出品して好評を博せりという.蓋し氏は水中の生める斯界の天才、将来の大成を待つや切なり。白牙会同人、聖徳太子奉賛美術展覧会委員。

 これらの帝展などへ出品した作品の多くは、1945年の水戸の空襲で惜しくも失なわれしまったようですが、この自画像は清一が手許においていたために戦災を免れたのは誠に幸いでした。
  私は清一の死の前年にこの自画像を本人から貰い、父の形見として大切にしていましたが、1983年9月に水戸市の茨城県立美術博物館(現在の茨城県近代美術館)で開かれた「昭和前期洋画の展開展」に出品した機会に、同館への寄贈を決めました。清一の郷里・水戸市こそ、この作品の所蔵場所としてもっとも相応しいと考えたからです。


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