2004年 3月号


このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、作品にまつわる話題などとともにご紹介していきたいと思います。

バックナンバー

2004年 2003年
2月:『早春』
1月:『自画像』
12月:『少女』 
11月:『秋深まる』 
10月:『染付け皿と秋果』
9月:『窓からの風景』 

8月:『石廊岬』
7月:『婦人像』
6月:『水戸弘道館』 
5月:『布引の新緑』
4月:『山ざくら』
3月:『水仙』

2月:『早春の六甲』
1月:『小菊』
2002年  2001年
12月:『根室原野の鶴』
11月: 『筑波山』 
10月: 『篠原本町の庭』   
9月: 『八千代像』  
8月:『九歳の八千代』  
7月:『会下山風景』
6月:『舞子の松』
5月:『赤い本』

4月:『菊池辰重氏像』
3月:『代々木風景』
2月:『春のうた』
1月:『雲と牛』
12月:『天王山農場』
11月:『初秋』

10月:『月見山風景』
9月:『孔雀』

今月は、『倉敷の家』をご紹介します。



▲鈴木清一作『倉敷の家』(1955年頃)

油彩・色紙、27.0×24.0cm
個人蔵(神戸市垂水区)



 戦災を免れた倉敷の街の中心部、そこには白壁に黒い瓦の町家が軒を並べ、江戸時代の名残を留めています。観光客で賑合う表通りから横丁へ一歩足を踏み入れると、両側には塗りごめの白壁と貼り瓦を漆喰で塗り込んだナマコ壁が続きます。
倉敷ではこのような路地を「ひやさい」と呼ぶそうです。

 周囲を屋根で取り囲まれた狭い青空には、白い雲が浮かんでいます。明るい陽光に白い壁が眩しいほどに光り、ナマコ壁や板壁の暗い色と好対照を成しています。漆喰の一部が剥がれ落ちて下地が露出した土色の壁は、時の流れを物語っているようで情緒があります。

 色紙に油絵具で描かれたこの作品は、現場で描いた水彩スケッチを基にアトリエで制作されたことは明らかです。
  この油彩画とまったく同じ構図のスケッチが清一の遺品の中から見つかっているからです(下図)。

 




▲鈴木清一作『倉敷のスケッチ』(1955年頃)
鉛筆/水彩・紙、29.5×21.0cm
個人蔵(神戸市須磨区)



 清一は戦前からたびたび倉敷を訪れています。とくに彼が講師をしていた木曜会の会員を伴って、大原美術館へ出かけたことが何度かあったようです。
西洋と日本の近・現代美術の名作をまとめて鑑賞することができる美術館で、神戸から日帰りできるようなところはここしかなかったからでしょう。清一はこの美術館で展示品の見どころなどを話して聞かせただけでなく、倉敷の街を散策して古い町並みを何枚も写生しました。

 この水彩画もその中の1枚で、現場では鉛筆だけでスケッチを済ませ、帰宅してから水彩で仕上げたものと思われます。

 木曜会は1932年に創設された三菱重工神戸造船所の絵画同好会で、清一は1933年1月から講師を引き受け、戦中から戦後にかけてしばらく休眠状態になっていましたが、1951年に活動を再開し、彼は1979年の死の直前まで講師を務めました。




▲木曜会会員たちと大原美術館の入口で(1940年頃)

清一は後列右から3人目、名前が確定できるのは丸山芳夫(後列右端)、
土岐正義(清一の左隣)、竹内正次(前列右端)、鬼塚貫一(左隣)

 

▲倉敷の街角で写生をする清一
(1940年頃)


▲ ロダンのサインの石刷り
赤鉛筆・紙、12.6×17.3cm


清一がアトリエの壁にピンで留めていたもの
この石刷りをどこで作ったか分からなかったのですが
右の写真が見つかったことから
大原美術館の入口に立つロダンのブロンズ彫刻
『洗礼者ヨハネ』の台座に刻まれた
ロダンのサインであることが判明しました


▲『洗礼者ヨハネ』の台座から
ロダンのサインの石刷りを採る清一

1955年5月撮影

 

 


  戻る  トップページへ  このページのトップへ