このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、作品にまつわる話題などとともにご紹介していきたいと思います。
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今月は、『鬼塚貫一氏像』をご紹介します。
![]() ▲鈴木清一作『鬼塚貫一氏像』(1975年) 油彩・キャンヴァス、41.0×32.0cm 個人蔵(神戸市垂水区) |
この作品は清一が80歳を迎えたのを記念して、木曜会会員の鬼塚貫一氏に贈ったものです。
木曜会というのは、三菱重工業神戸造船所に勤務する絵画好きの技術者・鬼塚貫一氏が有志を募って1932年5月に創設した洋画同好会で、発足当初は神戸洋画会の中山正実氏が講師を務めましたが、1933年1月から清一が後を引受けることになりました。
以来、鬼塚氏と清一の親友付き合いは1979年に清一が没するまで続きました。
戦中から戦後にかけて木曜会は活動を休止していましたが、1951年10月になって鬼塚氏の呼びかけで復活し、清一は再び講師を引受けることになりました。後に鬼塚氏は木曜会創設当時からの思い出を感慨深げに「木曜会由来記」として書きました
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▲第2回木曜会作品展(三菱和田倶楽部、1933年7月2日) 前列中央が清一、後列左端が鬼塚貫一氏、 前列左端が丸山芳夫氏 |
木曜会由来記 1957年4月1日 昭和7年5月、何が動機ということもなく、中山正実画伯指導のもとに、三菱電機からの参加者も含めて25名が木曜日ごとに油絵の稽古を始めた。場所は養和会支部和田倶楽部、ほとんどが初めての者ばかりだったが、いきなり勇ましく油絵具と取り組んだ。 |
▲第13回木曜会作品展目録 (1938年12月) |
中山先生の後、引き続いて鈴木清一画伯に指導していただいたのであるが、木曜会がその後10年間、堅実な歩みを続け得たのは一に先生の熱心なご指導によるもので、今さらながら感謝に堪えない次第である。
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▲ 明石公園で写生を楽しむ鬼塚貫一氏 (木曜会郊外スケッチ、1977年頃) |
鬼塚氏は木曜会で描いていただけではなく、清一に勧められて戦前の兵庫県美術家聯盟(戦争が始まってからは兵庫県新美術聯盟となる)の会員になり、年2回の聯盟展に盛んに出品していました。さらに彼は定年退職後、自宅の庭にアトリエを建て、生涯の愉しみとして絵を描き続けました。
そんな鬼塚氏と清一とはうまが合わない筈はありませんでした。お互いを「おにやん」「先生」と呼び、大好きなお酒を飲みながら絵の話を始めると、二人とも時間が過ぎるのをすっかり忘れてしまうようでした。
清一は1979年11月27日に84歳の生涯を閉じました。鬼塚氏は葬儀に駆けつけて、心暖まる感動的な弔辞を述べて会葬者の涙を誘いました。その彼はその後も元気に描き続けましたが、1996年10月14日に95歳でこの世を去りました。
▲ 右から鬼塚貫一氏、清一、鬼塚夫人・利子氏 (神戸市垂水区の鬼塚氏宅で、1974年) |