2004年 5月号


このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、作品にまつわる話題などとともにご紹介していきたいと思います。

バックナンバー

2004年 2003年
4月:『鬼塚貫一氏像』
3月:『倉敷の家』

2月:『早春』
1月:『自画像』

12月:『少女』 
11月:『秋深まる』 
10月:『染付け皿と秋果』
9月:『窓からの風景』 

8月:『石廊岬』
7月:『婦人像』
6月:『水戸弘道館』 
5月:『布引の新緑』
4月:『山ざくら』
3月:『水仙』

2月:『早春の六甲』
1月:『小菊』
2002年  2001年
12月:『根室原野の鶴』
11月: 『筑波山』 
10月: 『篠原本町の庭』   
9月: 『八千代像』  
8月:『九歳の八千代』  
7月:『会下山風景』
6月:『舞子の松』
5月:『赤い本』

4月:『菊池辰重氏像』
3月:『代々木風景』
2月:『春のうた』
1月:『雲と牛』
12月:『天王山農場』
11月:『初秋』

10月:『月見山風景』
9月:『孔雀』

今月は、『舞子の風景』をご紹介します。



▲鈴木清一作『舞子の風景』(1956年頃)

油彩・紙、35.5×25.5cm
個人蔵(神奈川県厚木市)



 1956年から57年にかけて、清一の家族は神戸市垂水区高ケ平に住んでいました。山陽本線の舞子駅で電車を降りて、北へ向かって20分ほど歩いた高台にポツンと建つ平家建ての粗末な借家でした。水は井戸しかなく、雨が降れば道は泥んこになるようなところでしたが、眺望だけは抜群でした。

 この家の清一の部屋からの眺望を描いたのがこの『舞子の風景』です。近景に野菜畑があり、右手からは赤松の大きな枝が垂れ下がっています。中景には住宅の屋根が並び、その向こうには穏やかな明石海峡と、淡路島の北端が青く見えています。季節は新緑の頃でしょう。ここは絵を描くには絶好の場所でした。いつまでも眺めていたいような素晴らしい風景でした。

 清一はこの風景がことのほか気に入っていたようで、少しずつ構図の違う作品を何枚も描いています。下に示した作品もほぼ同じ時期に描かれたもので、横長の画面には陽光を反射して白く光る瀬戸内海の広がりと、淡路島の長い島影が効果的に描かれています。
  左手の小松が画面に絶妙の安定感をもたらしています。近景に描かれた枯れ草が秋から冬の気配を感じさせます。





▲鈴木清一作『舞子の風景』(1956年頃)

油彩・紙、38.0×54.0cm
明照幼稚園蔵(神戸市中央区)


 清一が舞子の高台からの眺望を描いたのは、高ケ平に住んでいた時期だけではありません。戦前・戦中にも彼は垂水や舞子の高台からよく写生をしています。兵庫県美術家聯盟の機関誌「聯盟」(第6輯:1937年6月号)に寄稿した随筆「窓から描く」に、彼は次のように書いています。

 ・・・遠いところというたら垂水辺が精々である。この辺はぼくが須磨に住むようになる以前から、行きつけた馴染みの土地であるから、土地の勝手も分かり、地理も知り尽くし、一木一草まで親しい姿に感じられる。緩い傾斜の丘、畑、小松の林、静かな海、姿のよい淡路島、いつの季節でも、晴れても曇っても、ぶっつけに行って画が描けるからうれしい。

 ぼくが不思議でならないのは、神戸の画家がこの辺の風景を描かないことだ。西洋館も結構だ。街もよい。しかし、この明るい須磨以西の自然を省みないのはどうしたことであろう。

 親しみのない遠い他境の風光を探し求めて出て行くのは、不精なぼくから考えれば誠にご苦労様のように思われてならないのである。





▲鈴木清一作『淡路島遠望』(1944年頃)

パステル・紙、28.8×38.2cm
個人蔵(神奈川県厚木市)


 



▲鈴木清一作『淡路島遠望』(1930年頃)

水彩・紙、27.8×35.3cm
個人蔵(神戸市須磨区)



 清一が好んで繰り返し描いたこの風景は、その後の開発によって大きく様変わりしました。彼の住まいがあった丘陵地帯は、大規模な宅地開発によって住宅が密集する大住宅地に変身し、高ケ平という地名も今では星陵台に変わっています。そして何よりも大きな変化は、これらの作品に描かれた穏やかな明石海峡に巨大な吊り橋が架けられたことです。

  もしも、清一が現在の明石海峡の風景を眺めたとしたら、彼ははたしてどう言うでしょう。


  戻る  トップページへ  このページのトップへ