バックナンバー 2004年 8月号


このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、
作品にまつわる話題などととしていきたいと思います。

バックナンバー

2004年 2003年

7月:『丹頂鶴』 
6月:『月見山の家の庭』
5月:『舞子の風景』

4月:『鬼塚貫一氏像』
3月:『倉敷の家』

2月:『早春』
1月:『自画像』

12月:『少女』 
11月:『秋深まる』 
10月:『染付け皿と秋果』
9月:『窓からの風景』 

8月:『石廊岬』
7月:『婦人像』
6月:『水戸弘道館』 
5月:『布引の新緑』
4月:『山ざくら』
3月:『水仙』

2月:『早春の六甲』
1月:『小菊』
2002年  2001年
12月:『根室原野の鶴』
11月: 『筑波山』 
10月: 『篠原本町の庭』   
9月: 『八千代像』  
8月:『九歳の八千代』  
7月:『会下山風景』
6月:『舞子の松』
5月:『赤い本』

4月:『菊池辰重氏像』
3月:『代々木風景』
2月:『春のうた』
1月:『雲と牛』
12月:『天王山農場』
11月:『初秋』

10月:『月見山風景』
9月:『孔雀』

今月は、『山百合』をご紹介します。



▲ 写真A 鈴木清一作『山百合』
(1939年)、油彩


地面を覆った夏草の間から、細い茎を長く伸ばして咲く可憐な山百合の花を描いたこの作品(写真A)は、1939(昭和14)年6月に神戸・画廊で開催された「鈴木清一油絵展」に出品されました(写真B/この下)。

原画の行方が知れず、清一の遺品の中から発見されたモノクローム写真でしか見ることができないのが残念です。



▲ 写真B 大阪毎日新聞神戸版、1939年6月27日

それまでにも彼は、ろうけつ染の作品を集めた「鈴木清一染色画展」を何度か開いていましたが、なぜか油絵作品展を開こうとはしなかったので、この「鈴木清一油絵展」は彼が神戸に移り住んで以来の『最初の油絵個展』となったのでした。
この展覧会について、当時の新聞は次のように好意的な論評を掲載しました。

鈴木清一さんの個展を神戸画廊で観た。初めてですよと言われて驚いたのである。そのくらい鈴木さんは自分の絵を見せたがらない。自信を持って仕事をしている人はみなそうであるが、鈴木さんほどの大家になってそうした態度をとっておられることは少ないであろう。しかし、これからは1年に1度は見せてもらえるそうである。これは大変良いことである。われわれが鈴木さんの1年の収穫を充分楽しめるとともに、鈴木さんもその足跡を振り返ってみることができるのだから。

それにしてもこの一堂の豊かな色彩とそれをアレンジした鈴木さんの周到な用意と気品の高さはどうであろう。わたしは画廊の椅子に腰を下ろしていい心地ですと言ってしまった。鈴木さんの香気に酔ってしまったのである。作品は色彩の美しさを狙った草花の静物と、須磨の海や森の渓流の風景であるが、それを統制しているものはまったく洗練された鈴木さんの気品であった。これは染色や工芸に伺われる鈴木さんの好みの一つの表れである。たとえば冬の海の暗く淋しい色の中に一脈流れてやまぬ青潮の明るさ、小舟の一端に染みたエメラルドの侘びしさ、海鳥の白い翼は空の曇りから覗かれた青い光に映えているのである。

だが、わたしはここで鈴木さんの詩を説明しようとは思わない。それは観る人がみなそれぞれに打たれるものであるから。とにかく嬉しい清新な展覧会であった(仲郷三郎:「鈴木画伯個展寸感」大阪毎日新聞神戸版、1939年6月29日)。

論評に書かれているように、清一は翌1940年12月に第2回油絵展を開きましたが、今度はそれが彼の『最後の油絵個展』となってしまったのは不幸なことでした。日中戦争は依然として解決するどころか、先行きすら見えない状況下で、1940年10月には挙国一致の大政翼賛会が設立され、全国民を戦争に狩り出す国民総動員組織が現実のものになりました。
それまで戦争とは縁のなかった清一にも、「彩管報国」(絵画を通して国策に協力する)の名の下に、翼賛会関連業務が次々と舞い込み始めるに及んで、もう以前のような平穏な生活が許されなくなっていったのでした。

さて、清一は「百合の芽の2−3尺逞しく伸びた姿は、まだ蕾を見せないままで充分美しい。わたしは特に山百合が好きだ。」と手記に記しているように、山百合をモチーフにした作品を何点も残しました。ここでは油彩画(写真C)と葉書に描いた水彩画(写真D)をご紹介しておきましょう。



▲ 写真C 
鈴木清一作『山百合』(制作年不詳)
油彩・板、31.7x40.8cm
個人蔵(神戸市須磨区)
▲ 写真D 
鈴木清一作『山百合』
(1967年)
水彩・葉書、14.8x10.0cm
個人蔵(長岡京市)


 親友に宛てた葉書絵の『山百合』(写真D)の余白に、彼は「夏草の茂みがうへに伸びいてて ゆたかになびく山百合のはな 牧水の歌を想う。故郷の夏の山野をなつかしく思い出す花だ。」と記しています。
牧水の歌は「夏草の茂りの上にあらはれて 風になびける山百合の花」の記憶違いでしょう。なお、「故郷の夏の山野」とあるのは、清一が幼年時代を過ごした雨引村のことに間違いありません。

百合の花といえば清一の失敗談を思い出します。
1935年6月に彼は右脚を骨折して3か月入院するという大怪我をしたことがあります。このとき、病室の清一が妻・八千代に宛てた走り書きの中に「‥‥百合がけさ一輪咲いた。ところが少しも匂いがない。要するにただの鬼百合に過ぎない。いくら鼻をつけてみても匂いがない。さてはあの種子屋のインチキにすっかり引っかかったわけです。多分、安香水を差して売りに来たのだったらしい。だまされたわれわれがうれしいね、呵々‥‥」とあるのです。このエピソードには少し説明が必要です。

前年の秋に彼の自宅へやってきた行商人が「この百合の花は素晴らしい香りがします。球根でもこんなに匂いますよ。」と、彼の鼻先へ球根を近付けました。なるほどいい匂いがします。彼は行商人から球根を買って鉢に植え、香りの高い花が咲くのを心待ちにしていたのでした。ちょっと考えれば、球根が匂う筈もないのですが‥‥。この行商人は鬼百合の球根に匂いをつけ、山百合の球根と偽って彼に売りつけたのでしょう。

清一は早くから染色画に深い関心を持っていました。先に述べた「鈴木清一染色画展」の他にも、東京美術学校の先輩に当たる橋本邦助と1931年1月に開催した「橋本邦助・鈴木清一作品展」には、油彩画とともに染色画も出品していましたし、川西英、湊弘夫、中山正実、辻愛造と一緒に1932年に開催した「雅芸会作品展」でも染色画を出品していました。清一の『鹿の子百合』(写真E)はこれらの作品展に出品されたものと思われます。

最後にもう1枚、水彩画の『鹿の子百合』(写真F)をご紹介しておきます。鬼百合と並んで鹿の子百合は山百合のような強い芳香をふり撒くことはありませんが、花弁が大きく反り返っているところが面白いと思います。

▲  写真E  鈴木清一作『鹿の子百合』(1930年代?)
ろうけつ染・絹布、52.0x34.5cm
個人蔵(神戸市須磨区)
▲  写真F  鈴木清一作『鹿の子百合』(1960年代?)
水彩・紙、54.0x38.2cm
個人蔵(神戸市須磨区)


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