2005年 2月号


このページでは、鈴木清一の作品を毎月一点づつ取り上げ、
作品にまつわる話題などととしていきたいと思います。

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今月は、清一の郷里・水戸を描いた
『水戸県庁前 堤の並木』(1924年頃)をご紹介します。

▲鈴木清一作『水戸県庁前 堤の並木』(1924年頃)
油彩・板、32.7×23.9cm、個人蔵(神戸市須磨区)
 


 この作品の裏側には、清一の筆跡で「水戸県庁前 堤の並木 大正13年頃の作」と墨書されています。晩年近くなって、彼は手元に残してあった古い作品を取り出し、遠い昔の記憶を辿りながらこう記したのでしょう。
「大正13年頃の作」とあるように、彼の記憶は少しあいまいですが、大正12年(1923年)あるいは大正13年(1924年)、つまり関東大震災の直後あるいはその翌年の作品だと思われます。

 当時、東京・代々木にあった清一のアトリエは地震の被害を免れたようですが、大混乱に陥った東京では、落ち着いて絵を描けるような状況になかった筈です。事実、1923年秋の帝展は急遽中止されていますから、清一が地震の直後に水戸の実家へ戻った可能性はありますし、1924年秋には第1回白牙会展覧会(「今月の一枚」2002年4月号 参照)が水戸で開催され、ここへ招待出品した清一が会場を訪れたことは記録にも残っていますから、帰郷した機会にこの絵を描いたと考えられます。いずれにしても、この絵を描いたのは関東大震災後だったという記憶から、彼は「大正13年頃の作」と記したのではないでしょうか。

 ところで、清一が「水戸県庁」と書いているのは、水戸城三の丸跡に建つレンガ造りの建物です(写真A)。
 1930年に完成したこの建物は、1999年まで茨城県本庁舎として使われていましたが、現在は茨城県三の丸庁舎になっています。水戸城の周囲は濠を掘った土で築いた土塁が取り巻いています(写真B)。濠といっても水を湛えていない空濠で、石垣もなく(写真C)、徳川御三家・水戸藩主の居城にしては非常に質素な造りです。 この一帯には弘道館(「今月の一枚」2003年6月号 参照)をはじめ、水戸第一高校(清一の母校・旧水戸中学校)などの学校や官庁の建物が集中しているため、現在でも濠や土塁がそのままの形で残っています。この作品は土塁の上に繁った樹木を描いたものです。清一の実家は旧県庁舎のすぐ近くの北三の丸(現在の北見町)なので、帰省した彼はこの一帯を散歩したり、スケッチを楽しんだりしたのでしょう。

 なお、1922年の帝展に清一が出品した『赤い本』(「今月の一枚」2002年5月号)は、長らくこの建物内に展示されていましたが、現在は茨城県近代美術館の所蔵品になっています。

写真A

旧茨城県庁舎
(現在は県三の丸庁舎)
周囲に弘道館の馬場だった
広場が広がっている

2002年10月撮影

写真B

旧茨城県庁舎前の
土塁(左手)上に繁る樹木

右奥の白い構造物は
水戸市低区配水塔
清一の実家はこのすぐ
近くにある

2002年10月撮影

写真C

水戸城周囲の空濠と
樹木が繁る土塁(右手)
手前の歩道を右へ進むと
旧茨城県庁の正面に至る

2002年10月撮影

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