2005年 12月号


今年もいよいよ最後の月を迎えました。
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▲図1:鈴木清一作『神戸山手風景』
(1967年ごろ)
木炭と水彩・紙、54.0x38.0cm、筆者蔵


画面中央に描かれているのは、スレート葺きの屋根、下見板張りの壁、鎧戸のついた窓を持つ古い洋館で、古い神戸の街の情趣を伝える風景画です。木炭の力強い輪郭線が画面全体を効果的に引き締めるのが印象的です。画面左上には欅のような形の枝が描かれていますが、葉がほとんどついていないところを見ると、季節はおそらく晩秋なのでしょう(図1)。

この作品は、2001年10月に開催した「郷土の洋画家・鈴木清一回顧展」に出品しましたが、当時は作品の素性がはっきりしてしておらず、戦前に制作されたものらしいと考えていました。しかし、最近になって、1967年ごろの作品であることが明らかになったのです。

この絵を見たある建築専門家が、これは戦後 --- それも1960年代以降 --- のものだと断定したことがヒントになりました。制作年の決め手となったのは画面右奥に描かれている白壁のビルで、上階層部分が斜めに切り取られたようになっています。これは道路に接する建物の日照や採光、通風などに支障をきたさないように、道路側の建物の高さを制限する「道路斜線制限」で建てられているためで、このような規制ができたのは1960年代以降だという訳です。

さらに、作品が描かれた場所を特定するための決定的な証拠も発見されました。清一が入院中の友人に送ったはがきに、まさしくこの水彩画と同じ建物が描かれていたのです(図2)。

←図2. 鈴木清一作『古い洋館』 (1967年)
水彩・はがき、14.8x10.0cm
個人蔵(京田辺市)


中山手に残っている古い洋館。
神戸の街にもだんだん残り少なくなり、
昔の神戸情趣は
やがて影を消すでしょう。

はがきに書かれているように、場所は神戸の中山手でした。
中山手といえば、1959年から1978年まで清一が美術教師をしていた啓明女学院(「今月の一枚」2002年12月号を参照)があったところです。この学校は1983年に神戸市須磨区に移転し、さらに現在では、学校名も啓明学院に変わっています。
わたしは何か手がかりが得られるかもしれないとの思いから、この作品の写真を持って啓明学院を訪れました。わたしの直感が当たりました。ここに描かれていたのは啓明女学院の教師館だということが判明したのです。

かつて啓明女学院の校舎とともに、この建物が建っていた場所に、今日ではホテルが建ち、残念ながら昔の面影は何も残っていません。清一が書いているように、昔の神戸の情趣は影を消していたのでした。


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    8月:『ぶどうと桃』
    7月:『街頭スケッチ』
    6月:『六甲風景』
    5月:『若葉の明石公園』
    4月:『神戸山手風景』
    3月:『神戸メリケン波止場』
    2月:『水戸県庁前 堤の並木』

    1月:『青いリボンの少女』

 
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12月:『山本五十六元帥の生家』 
11月:『月見山晩秋』
10月:『ぶどうと西洋梨』

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8月:『山百合』
7月:『丹頂鶴』
 
6月:『月見山の家の庭』
5月:『舞子の風景』

4月:『鬼塚貫一氏像』
3月:『倉敷の家』

2月:『早春』
1月:『自画像』
12月:『少女』 
11月:『秋深まる』 
10月:『染付け皿と秋果』
9月:『窓からの風景』 

8月:『石廊岬』
7月:『婦人像』
6月:『水戸弘道館』 
5月:『布引の新緑』
4月:『山ざくら』
3月:『水仙』

2月:『早春の六甲』
1月:『小菊』
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12月:『根室原野の鶴』
11月: 『筑波山』 
10月: 『篠原本町の庭』   
9月: 『八千代像』  
8月:『九歳の八千代』  
7月:『会下山風景』
6月:『舞子の松』
5月:『赤い本』

4月:『菊池辰重氏像』
3月:『代々木風景』
2月:『春のうた』
1月:『雲と牛』
12月:『天王山農場』
11月:『初秋』

10月:『月見山風景』
9月:『孔雀』

 


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