
あけましておめでとうございます。みなさまには清々しい新年をお迎えになったこととお慶び申し上げます。
いつも「今月の一枚」をご覧くださり、誠にありがとうございます。今年もよろしくお付き合いのほどをお願いいたします。
さて、2001年10月から始めた「今月の一枚」は7年目のお正月を迎え、回数では今回で76回目を数えるに至り、ご覧になった多くの方からお問い合わせや、清一の作品を所蔵しているなどのご連絡をいただきました。
その中でもとくに昨年は、このサイトに掲載した1枚の写真が手掛かりになって、永らく行方不明になっていた第3回帝展(1921年)に初入選した『初秋の丘』(2007年4月号)
が86年ぶりに見つかるという、奇跡的な出来事がありました。
清一のこの記念碑的作品は、所蔵者のご好意でわたしの手元へ返還され、今春には兵庫県立美術館への寄贈が正式決定することになっています。
そこで、今月は『初秋の丘』のような奇跡の再来を期待して、1922年制作の風景画『早春』をご紹介することにいたします。この作品は1922年の平和記念東京博覧会美術展に出品されたものです。原画は残念ながら行方不明になっていますが、幸いなことにカラー写真の絵葉書が残っています。
『早春』には小高い丘の上から眺めた風景が描かれていますが、よく見ると、この風景は『初秋の丘』のそれによく似ています。おそらくこの2枚の作品は、ほとんど同じ場所で描かれたのでしょう。場所を特定するのは難しいのですが、当時、清一が住んでいた東京・代々木の風景であることは疑いなく、東京郊外の新興住宅地として当時開発が進みつつあった初台付近の風景ではないかと思われます。
昔の代々木をご存知の方からの情報をお待ちしています。メールはこちらまで
![]() |
| ▲鈴木清一作『早春』(1922年) 油彩・カンヴァス、116.0x91.0cm 平和記念東京博覧会美術展覧会出品、行方不明 |
ここで『早春』が出品された平和記念東京博覧会美術展について少し触れておきたいと思います。
第1次大戦後の平和を祝う「平和記念東京博覧会」(東京府主催)は1922(大正11)年に開かれました。会場となった上野公園内には、電気館、機械館、交通館、航空館、化学工業館などの技術館や、農産館、水産館、蚕糸館、染織館などの伝統産業館、台湾館、樺太館、朝鮮館、満蒙館などの植民地館や北海道館、外国館のほか、社会教育館、自治館、東京館、美術館、音楽堂、演芸館などの建物が建てられました。博覧会美術展の会場となった美術館の写真を下に示します。この写真に写っている人々を見ると、ほとんどの男性は山高帽や鳥打ち帽を被り、女性は髷を結っているなど、当時の世相や流行が分かって興味深いと思います。制服制帽姿の兵隊も歩いています。
![]() |
| ▲平和記念東京博覧会美術館 |
博覧会の報告書によると、美術展覧会に搬入された応募作品は、日本画、西洋画、彫塑、建築、美術工芸品および図案の種類ごとに鑑査が行なわれ、鑑査に合格した作品だけが展示されました。因に西洋画の応募作品は988点で、合格166点、不合格822点だったとあります。
西洋画の鑑査委員を務めた東京美術学校教授・藤島武二は次のように報告しています。
| ・・・個性ノ発揮、着想ノ純化、構図ノ簡潔、表現ノ自由ヲ重ンズル且ツ最モ色調ノ効果ニ意ヲ致シ労働的技巧ヲ節シテ直ニ芸術ノ本領ヲ発揮スル所之レ大体ヨリ見タル近代芸術ノ特徴タリ本会ニ於ケル出品中能ク如上ノ条件ニ契合セル逸品ハ頓カニ見出シ難キモ一般ニ近代芸術ノ傾向ハ慥ニ看取スルヲ得可ク之ヲ同時ニ農商務省陳列館ニ開催セル仏国現代芸術品展覧会ニ於ケル代表的作品ニ比較スルトキハ只根柢ニ於テ多少ノ遜色アル遺憾ハ免レザルモ一見已ニ左程ノ径庭ナキ観アル迄ニ至リシハ明ニ我ガ芸術ノ長足ノ進歩ヲ語ルモノニシテ今後吾人ノ自覚如何ニヨリテハ前途ノ目覚シキ発展ヲ予期シ得可ク大ニ人意ヲ強フスルニ足ルモノアリ |
※今月までのバックナンバーは、ページの最下段をご覧下さい。