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2008年 2月号


 


鈴木清一作『浴女』(1924年)
油彩・カンヴァス
第5回帝国美術院美術展覧会出品、焼失





 1920年代に清一が帝展に出品した作品の多くは裸婦像でした。
 
今月ご紹介するのはその中の1枚で、1924(大正13)年の第5回帝展に入選した『浴女』という作品です。

背景に描かれた自然の緑と裸婦の小麦色の肌が効果的なコントラストを生み出しています。
残念なことに、原画が終戦直前の水戸の空襲で焼失してしまったようなので、確かなことは分かりませんが、100号ぐらいの大きな絵だったようです。

このカラー写真は清一の妻・八千代の遺品の中から見つかった絵葉書をコピーしたものです。


  清一の父・国三郎が清一のアトリエを訪れた記念に撮影した1924
 年ごろの写真。国三郎は中央画壇で活躍する清一を誇りに思い、大い
 に期待もしていたが、このアトリエ訪問の4年後に53歳で他界した。

 この写真は清一の遺品の中にあったもので、彼の父・国三郎が代々木のアトリエに訪ねてきたときに撮影されたものです。当時の清一が裸婦像を盛んに描いていたことは、この写真からお分かりいただけると思います。

 国三郎の背後に『浴女』が写っているのですが、注意して見ると面白いことに気がつきます。この
白黒写真の裸婦像は何も纏っていませんが、カラー絵葉書の裸婦像は下半身の一部が布で覆われています。清一はいったん全裸像を描いた後で、絵葉書のように手直しをして展覧会に出品したものと思われます。

 この前の年に水戸に「白牙会」という洋画団体が結成され、第1回白牙会展が開かれました。在京の郷土画家の一人として、中村彝、辻永、熊岡美彦らと並んで出品の要請を受けた清一は、裸婦像を含む3点の作品を出品しています。ところが、この裸婦像だけが番外として別室に展示されたという記事が水戸の新聞『いはらき』(1924年11月2日)に出ているのです。

当時の日本の社会には裸婦像に対する抵抗があったようで、警察からの圧力がかかったことも考えられます。国三郎が茨城県警の警部だったことも関係していたのかも知れません。清一のアトリエを訪れた国三郎が、息子の描いた『浴女』を見て手直しをするように勧めたのではないのでしょうか。

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