
なだらかな形の青い山、淡い紫色の雲。眼下には白く光る池と赤い屋根の建物が見えています。画面の手前にあるのは野菜畑でしょうか。季節は冬のようです。 小高い場所から眺めた平和な田園風景ですが、のどかな雰囲気の中にも力強さを感じさせるパステル画です(写真1)。
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| ▲(写真1) 鈴木清一作『風景(1)』(1944年ごろ)、 パステル・紙、33.0x41.3cm、筆者蔵 |
清一の遺品の中からこのパステル画を見つけたときは、これがいつどこで描かれたものかが分かりませんでした。しかし、段ボール箱に入っていた膨大な数のスケッチを丹念に調べているうちに、この謎を解くパステル画をもう1枚見つけたのです(写真2)。
この2枚のスケッチがほぼ同じ場所で描かれたものであることは明らかです。
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| ▲(写真2) 鈴木清一作『風景(2)』(1944年ごろ)、 パステル・紙、24.0x32.9cm、筆者蔵 |
写真2のスケッチに描かれた流れ屋根の建物には見覚えがあります。2001年12月号の「今月の一枚」でご紹介した『天王山農場』にもこの建物が描かれていたのです。しかも、この『風景(2)』と『天王山農場』は同質・同サイズの紙に描かれていて、紙の上端には同じスケッチブックから切り離したミシン目があるのです。こうしたことから、これらのスケッチは、いずれも天王山農場でほぼ同時期に描かれたものと考えて間違いないでしょう。
すでに『天王山農場』と『天王山農場本館』(2005年10月号)でご説明したように、清一は終戦直前の1944年から1945年にかけて、明石郡神出村(現・神戸市西区神出町)の天王山農場健民修練所で絵画指導に担当していました。そこで彼は自らの気分転換も兼ねて、手近な風景を描いて生徒たちに描画指導をしていたのでしょう。
彼は健民修練所での絵画指導の経験を、兵庫県翼賛文化聯盟『天王山農場健民修錬所:新しい実験の記録』(1944年10月25日)の中で次のように報告しています。
1. いわゆる絵のまずいという者でも、精神集中と最善の努力を描画に向かって払うならば、相当正確な写生画を完成することが可能であると同時に、こうした自信を各自が持ちうることになれば、写生の興味もおのずからわいてくるようになる。 2. 個人々々の持ち味というものは判然と図画に出てくる。また、各自の持つ性格的長所欠陥なども現われるものである。この点を指導者はよく理解して指導すれば、描画の上達を期するのみにとどまらず、人間的な指導ができるわけである。 3. あらゆる物象に対しての観察の淺薄さが描画によって初めて気がつき、自己反省の機会を得ると同時に、自然の造形につき重心を向けうる機会ともなる。 詮ずるところ、描画(行)による精神訓練がなされ、明るい氣分のうちに自然の観察が深められ、努力の持続が困難を克服しうる生きた体験を各自にはっきり認識させることができると考える。さらに時間と準備を十分に持ちうるならば、色彩の基礎教育、色彩による写生をも加え、一層図画指導による修錬目的を達したいと考えているのである。 |
さて、昨年12月のある晴れた日に、60余年前のあの暗黒の時代を必死に生きた清一の足跡を辿って、わたしは天王山牧場を再訪しました。かつての天王山農場本館を改装したレストハウス「まきば」で昼食をたっぷり楽しんだあと、『風景(1)』が描かれた場所を探して敷地内を歩き回ってみたのですが、鬱蒼と生い茂った樹木のために、周囲を見通すことができませんでした。
仕方なく農場から表通りへ出てみると、写真3のような景色がいきなり目に飛び込んできたのです。地図で調べると、なだらかな形をした山は標高241mの雄岡山(おっこさん)で、手前の池は金棒池だということが分かりました。
現在は送電線の鉄塔や電柱、ガードレールが建ち、池の周囲はコンクリートで固められていますが、自然の景観は当時のまま残っているのを見て、少しほっとしました。こんな平和な風景を眺めていると、あの狂気のような国民総動員時代の出来事がとても信じられない気分になってくるのでした。
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| ▲(写真3) 現在の神出の風景 (2007年12月撮影) |
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