
先月に続いて今月も人物画をご紹介いたします。1938(昭和13)年の第2回文部省美術展覧会(新文展)に清一が招待出品した「七歳の秋」です。作品のモデルになっているのは、神戸市立西須磨尋常小学校(現・西須磨小学校)の2年生になった清一の長男・藍作で、神戸市須磨区月見山町の自宅の庭で描かれました。縦縞の長袖シャツに短パンツ、素足に運動靴という出立ちで、絵筆を動かす父親の方を大きな眼でじっと見つめています。
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| ▲鈴木清一作「七歳の秋」(1938年)、油彩 第2回文部省美術展覧会招待出品 原画は行方不明のため絵葉書から複製した |
画面の右手には夏の庭を彩るジニアが描かれています。百日草とも呼ばれるこの花は、その名の通り、100日もの長い間、夏の暑い日差しの下で咲き続けるキク科の草花です。また、左手には細い脚を持つ椅子が描かれています。これは、わたしが幼いころから見慣れていた懐かしい椅子です。残念ながら今はもう残っていませんが、高い背もたれと籐網の座面があるうぐいす色の洒落た椅子でした。アトリエの小道具に使うために、清一が古道具屋で見つけたものだったのでしょう。
これより2年前の1936年に、新文展の無鑑査となった清一が招待展に出品した「初秋」(『今月の一枚』2001年11月号) にも、藍作が清一の妻・八千代とともに描かれていますが、ここにも同じうぐいす色の椅子と黄色やピンクの百日草が描かれているのは興味深いことです。
1954年に清一の一家は長年住み慣れた月見山から須磨区関守町へ転居しましたが、清一は手元に残していた作品の処理に頭を悩ませました。転居先が狭いところだったので、やむを得ず彼は何点かの作品を廃棄したようですが、思い出が詰まった作品や、妻や子供を描いた作品はカンヴァスを木枠から外して、引っ越し荷物に纏めました。このうち、小さなカンヴァスは重ねて箱詰めにしたので無傷で生き残りましたが、大きなものは数枚重ねて筒状に丸め、紐で縛ったために、長い年月が過ぎる間に絵具の亀裂・剥落が進行しました。これらの中には「初秋」、「雲と牛」(『今月の一枚』2002年1月号) 、「丹頂鶴」(『今月の一枚』2004年7月号) などの作品が含まれていました。2001年秋に開催した『郷土の洋画家・鈴木清一回顧展』に展示するため、わたしはこれらの作品を修復専門家の手に委ねました。一時はなかば諦めていただけに、見違えるように蘇った作品を観たときの感動は今も忘れられません。
さて、「七歳の秋」の原画は行方不明になっており、今日では展覧会の図録や絵葉書のモノクロ写真でしか見ることはできません。しかし、これを清一が廃棄したとは考えにくいのです。彼が引っ越し荷物を纏めたときには、この作品は他人の手に渡っていて、手元に残っていなかったのかも知れません。戦災で焼失したのかも知れませんが、将来どこからかひょっこり出てくる可能性も否定できないでしょう。ちょうど「初秋の丘」(『今月の一枚』2007年4月号) が86年ぶりに発見されたように ..
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