
▲図1. 鈴木清一作「赤い屋根」(1967年頃)
油彩・色紙、27.2x24.2cm、筆者蔵
先月号の「初夏の山」に続いて、今月も明石市在住のO氏のご遺族から筆者に返還された小品「赤い屋根」をご紹介いたします(図1)。この作品をはじめて見たときには、どこの風景を描いたものかが分からなかったのですが、清一が入院中の親友に送った絵手紙(図2)からその謎が解けました。これら2枚の絵を比べてみると、遠景の描き方には相違がありますが、同じ場所を描いたものであることには疑問の余地がありません。
▲図2. 鈴木清一作「夕やけの空」(1967年)
水彩・はがき、14.8x10.0cm、筆者蔵
▲図3. 清一が描いた自宅付近の地図 (1977年)
水彩・はがき、14.8x10.0cm、筆者蔵
この絵手紙の添え書きに、
夕やけの空はふるさとを想はせる。けふも静かに暮れる美しい空だ。布引の山がふるさとの話をしてくれているようだ。隣家の庭の夏みかんが黄色く熟れている。ベッドの兄を想いうかべながらこの葉書をかいている。お大切にくれぐれも。近いうちにお見舞したい。
とあることから、清一が1966年から1979年まで暮らした灘区篠原本町の借家の窓から西方を望んだ風景であったことが分かったのです。彼は赤く染まった夕焼け雲と布引の山を眺めて、幼少時代を祖父母とともに過ごした雨引村の風景 (2002年11月号「筑波山」を参照)を懐かしく思い出していたのでしょう。
篠原本町の古い家(図3)は1996年1月の阪神淡路大震災で倒壊し、付近一帯の家並みは大きく変わりました。清一が描いたこの風景も今ではもう過去のものとなってしまいました。
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