
「忘却の洋画家」と題され紹介されました。
今回の放映では、清一が中央・地方画壇で活躍していた頃の作品や、彼を支援した跡部操氏の存在とともに、清一の人生を変えることになった第二次大戦中の活動が、終戦後に大政翼賛会の協力者とみなされ、公職追放のリストに載った背景などについても取り上げられました。
晩年の清一
太平洋戦争開戦直前の清一一家。
写真左から洸介(次男)、清一、藍作(長男)、耕三(三男)、妻・八千代、洲子(長女)
太平洋戦争開戦翌年に撮影されたもの。
中央で聯盟旗を持っているのが常任委員長の清一。
公職追放後、清一は一切画壇活動から離脱しましたが、教壇に立ち若者の指導に情熱を注ぎました。上の2枚は、1959年〜1978年まで講師を務めた
啓明女学院の学生さんとの写真。
清一は美術の授業だけではなく、放課後教師陣にも絵を教えていたそうです。
清一から絵を教わった同学院の元校長・津祢茂實氏は「絵を描くことが教師にとっての癒しになっていた」と、当時の様子を語っておられました。