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2001年10月12日、30日に続き、サンテレビで清一の人生が取り上げられました。今回は番組も変わり、1時間の特別番組です。 精力的に取り組んでくださったサンTV制作スタッフの皆様に、この場を借りて御礼を申し上げます。 |
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▲茨城県にある、清一の実家
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清一は「木曜会」(三菱重工業神戸造船所※の洋画同好会)で絵の指導をしていました。会は、清一が逝去した現在も活動を続けています。※社名は会発足当時のもの
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▲『九歳の八千代』
清一と妻・八千代は10歳違いの幼なじみでした。当時九歳だった“将来の妻”を描いた、運命的な作品です。八千代は結婚後も、清一の絵にモデルとして登場しています。
戦争によって大政翼賛会の協力者とみなされ、公職追放となった清一一家の生計を支えたのは妻・八千代でした。生活のために着物を売ることなどはたびたびだったと言います。
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八千代は1974年に他界。病床の妻に、清一は絵を教えました。
上の2作品は、妻・八千代が逝く前年に描いたものです。闘病を感じさせない明るい色調で描かれています。これらの作品は、先日開催された「鈴木清一回顧展」にも出品されました。
清一が結婚前、八千代に宛てた「ラブレター」。八千代の死後、遺品の中から見つかったものです。
「人は僕を軟弱な男と言うかも知れないが、あなたを愛している」と、清一のストレートな気持ちが面々と綴られています。八千代は生涯、清一からのラブレターを大切に持っていたのです。
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妻・八千代とともに清一が眠る墓。八千代が亡くなった時に清一が建てたものです。
自然志向の清一らしく、時間をかけて天然の石を探し求めました。墓石に入れ込まれたオブジェは、清一の長男で現在ドイツで陶芸家として活動している藍作の作品です。
今回の番組取材で墓地を訪れた際、回顧展の実行委員長を務めた清一の三男・耕三は、回顧展が盛況のうちに終わったことを墓前に報告しました。